父の命日なので思うがままに。

父の命日なので思うがままに。

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わたしの父は2009年12月12日に他界し今日が命日となります。享年60歳。病名は胃癌。リンパに転移し発見時はステージⅣで父は余命半年を宣告されました。

25歳から35年間地方公務員一筋で、若いころは労働組合の業務も多忙だったらしく家族写真に笑顔がほとんどない。他界する数年前「どうして笑顔が少ないの?」そう聞いたことがあります。答えは「忙しすぎて笑う暇もなかった」だと。切ない話です。

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父との思い出

私はあまり記憶が良い方でなく地元で過ごした時期を部分的にしか覚えていません。けれども強く印象に残っているのは、中学生に上がる頃まで家族旅行に何度も何度も行ったこと。

地方公務員という性質上なのか、家族ぐるみで行う「お祭り」「バーベキュー」「キャンプ」「泊りでリゾートパーク」は本当に楽しかった。今では大勢で集まり遊ぶことは体の一部とすら感じます。

写真では笑ってなかった話ですが、現実ではそうでもなくごく普通の父親でいたずらもするし笑いも取る。

テレビの音を録音する思い出

今ではインターネット経由で音楽を聴くのはごく当たり前。しかし30年前はそうはいかず、テレビかラジオでしか聞く事はできません。聞きたい歌が流れるテレビ番組の放送には当然釘づけ。

小学4年頃だったかな。Winkの「愛が止まらない」が大ヒットし歌のトップテンという番組で何度も聞きました。どうしても録音したかったのでカセットテープのマイクをテレビのマイクに近づけて「究極のアナログ録音」をしました。

後ろで父はニヤニヤ笑っていたかと思います。Aメロ、Bメロがきて、さぁサビ!!というタイミングで

ブッ!!!

と放屁。私驚愕。父爆笑。母悶絶。もう「究極のアナログ録音」なんてできたものじゃありません。

歌詞を読み取る術

またしてもWinkの「愛が止まらない」で私が父に聞きます。「ねね、この曲の歌い出しなんて言ってるの?」

正解「Car radio 流れる 切なすぎるバラードが~」

父「川べり(川の傍のこと)を流れる 切なすぎるバラードが~」

私「おおおお!!!すげぇえええええ!!!!ありがとう!!!!」

強烈に覚えてる誤り。自慢げな父の顔を忘れません。今思うと歌詞の意味がまったくわかりません(汗)

離婚そして結婚

私が社会人4年目くらいの頃、家に突然母から手紙が来てこうありました。

「私達夫婦は話合った結果離婚することにしました。」

まったく予兆の無い出来事だったので、ただただ驚き。言葉になりませんが悲しみだけは湧いてきます。手紙が来てからも実家に帰るタイミングを失い1年くらい経った頃でしょうか。また母から手紙がきます。そして内容には・・・。

「〇○さん(父の名前)と話合った結果結婚することにしました。」

なんの漫才なのかと。

愛情を表現しない父

会社の友人と話すときは極めて饒舌になる父。家では結構無口。私に対して言葉で愛を伝える事は亡くなるまで一度もありませんでした。ただ行動は違います。何も言わず無理して大学行かせてくれた。東京に行くといっても止めはしなかった。社会人になって遊び呆けていても遠くから時々連絡をくれた。

愛情を表現しなかったけども愛情をもらっていたと私が知るのは「私に子供が出来てから」という皮肉な結末です。ほんと無知な子供でした。

By: sophie

病気が発覚

父に病気が発覚したのは2009年8月頃。首のリンパあたりにしこりがある。そう言い始めたのです。後で医療関係の親族に聞きましたが、その時に「かなり怪しい」と察知していたみたい。

ところが私としたら何かの腫れなんじゃない?程度の軽い気持ち。この時点で余命半年だなんて想像すらしていません。

8月頃に発覚10月頃までは入院せずに治療。何度か地元に帰りましたが父は本当に病気なのか?そう疑わざるを得ないほどピンピンしていて旅行もするし車も運転するし。そんな行動に段々わたしも安堵していったのが記憶にありますね。

10月になると入院し本格的な抗がん剤治療がスタート。そこからでした、人間はこんなにも猛烈な勢いで弱っていくのだろうか?そんな感覚を持ったのをよく覚えていますよ。体重も80㎏→60㎏。ほほはコケ、腕は細り。「治療のせいで父は弱っている!」心で叫んでたなぁ。

11月になると大分弱り関係者もかなり近い人だけのお見舞いへと変わっていきました。確実に死へ向かっている。ただどこかで現実拒否する自分がいるんですよね。理解できないし認めたくない。そんな狭間とでも言ったらいいかな。

最後の病床での家族の会話

胸水、腹水が貯まり、夢の中で溺れて苦しいと母に嘆いていたようです。透析も同時にしていたのがさらに苦痛で拒否する父。苦しさを解放する為モルヒネをいれ眠らせ時間が過ぎていく。

眠りから覚め家族全員で話をしました。その会話は3人の私たち子供がやんちゃで親をいかに困らせたか?でした。父はしゃべって会話に参加できる状態ではないのですが耳は聞こえます。会話中「そう!それそれwww」と思うときは手を大きく上にあげて合図。そうやって参加していましたね。

私が小学生の頃、近所のビニールハウスに石を投げて破りまくりイチゴをダメにして揉めた話。妹が色恋に走って失敗した話。心拍数が弱くなるなか家族で笑い話をずっとしていました。お互いこんなのでいいの?と思いながら。

段々と手を上げる回数も減っていくので寂しさも増していきました。

そして父は他界。癌の影響で胸が変色しものすごく固くなっていました。手を握っていた私はまだ脈があるじゃないか!!そう叫んでいた私す。看護師さん曰く自分の脈を勘違いすることがあるんだと。

他界する直前、妹が「ありがとう。お父さん」そう言ったときでした。私は父の涙を初めて見ました。閉じた目から流れる一粒の涙を。「一緒に家族の時間を楽しく過ごせたよ。ありがとう」とでも涙で言ったんでしょうか。

感謝すること家族を大切にすること

長くお付き合いありがとうございます。私はブログで度々家族への思いを綴っていますが、それは60歳で他界した父が残したタスキ。「家族を大事にしなさい」を再認識する為です。

自分の人生を家族に捧げる覚悟を持たずして本当の意味での家族は作れない。父は死をもってそう伝えたかったように感じる。

私の息子は1歳半。まだまだやんちゃで我儘。今日も夜寝ないので抱っこして夜空の星を見に外へ。子供と目が合った時に「自分もこうやって父に抱っこしてもらって愛情もらったんだろうなぁ」時を超えて私は同じことを子供にしている。そんな気持ちになりました。

育ててくれて感謝するって子供に愛情をつないで行くとなのかもしれない。子供じみた独りよがりはみっともないな。

命日に気持ちがまた引き締まった日となりました。

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