時間が欲しい!時間が欲しい!時間がほしい〜〜〜〜!!!
子供が出来てずっとずっとそう思っていました。仕事を終わって家に帰れば子供のお風呂、絵本朗読、寝かしつけ。そしていつの間にか自分も夢の中へ・・・。
嫁が夜勤の日だともっと過酷でお迎え、ご飯が追加します。土日?もちろん一人で終日子供の対応します。
それはいいんです!まだいいのです。ただ時間がどんどん過ぎていき、年単位で過ぎて行くのがどうしても悲しくて・・・。
時間が欲しい・・・。そう思っていました。
ジャバウォックに「時間が欲しいか?」って言われたら、即「欲しいっすww」って言っちゃいそうです(汗)
嫁の夏休み
時は遡り、ブログをスタートする前だったかな?嫁が夏休みに入った時のことでした。子供と一緒に実家へ一週間帰ることになったのです。
普段の家の状況といえば、「戦場」一番似合う言葉はそれでしたね。時間に追われる毎日でありながら、子供には時間が無限にあるようなゆったりしたスタイルで接しなければいけない。
敵に弱みを見せれない「戦場」
そして敵が実家に帰った後の私の晩御飯といえばこんな感じでした。
1日目 会社が終わってから派手に飲み会!もちろん二次会付き!
2日目 会社が終わってから飲み会!二日酔いなので素直に帰る
3日目 会社が終わって派手に大戸屋で定食!
4日目 会社が終わって吉野家に直行
5日目 会社が終わって家でカップ麺
6日目 土曜日、家で納豆付きの卵ご飯
7日目 日曜日、家で卵ご飯
戦場にいた私はいつの間にか戦場モードから戻れない体になっていました。
心は遊びたい気持ちがあったのですが、泉のように湧き出るエネルギーがありません。いつからだろうか・・・。5日目辺りから誰もいない20畳のリビングでポツンと食べるカップ麺に違和感を感じなくなっていましたよ。
家族が近くにいる当たり前
徹底的にこの「家族がいる音」を脳裏に刻まれていた気がします。
子供が走り回る音。洗濯する音。掃除機を掛ける音。トイレを流す音。扉を開ける音。咳をする音。泣く音。
数え上げればきりがないですが、嫁が実家に帰った瞬間から音が消えたのです。
普段何気なく聞いている音が突然消え、まさに無音の世界へ。
男って弱い生き物ですね(私が弱いだけか?)何も無い箱の中へ放り出されたような気持ちになり、毎日することに意義が感じれなくなりました。
そう「一人だけで生きていくことに不慣れになっていた」
嫁も共感
その年の正月。私と子供で実家に1週間程帰りました。嫁は仕事があったので一緒に帰省せず一人で過ごしています。
では嫁さんは、その時どんな1週間を過ごしたか?
1日目 会社が終わってから高級酒を飲んで寝る!!
2日目 会社が終わってからサワーを飲んで寝る
3日目 会社が終わって寝る
4日目 会社が終わって寝る
5日目 会社が終わって寝る
6日目 土曜日、暇なので一日中掃除
7日目 日曜日、ゆっくり寝る
おいおい。寝ているだけじゃないか!
いや、寝ることはとても重要なのでそれはいいのです。それよりもやることが特になくて寝る。これって私とリンクしてない?
時間が欲しい、時間が欲しいと思いながらいざ時間を貰うと戸惑いつつ有効活用できない。
欲しかったはずなのに・・・。
嫁さんも何かしらポッカリと抜けた穴を埋めることが出来なかったのは私と一緒だったのかも。
日常に流される恐怖
毎日毎日の変動が少ない日の連続。これが続くと人間慣れが起こりパターン化された一日の使い方になります。事実我が家も時間に追われる毎日はそれを招いています。
悪いとか良いとかでなく、自然と夫婦共々追われる日に慣れていく。
ただ思い返してみると、刺激的な毎日がそこにはあるはずなのに慣れのせいで鈍感になっています。
育児が絡むと特に顕著です。自分が子育てにどう向き合っていけばいいか?そんな単純なことも考える時間を与えられず、物凄いスピードで時間が過ぎ、一人になったときに戸惑う。
だから私は翌々思うのです。
日常に流されないようにしよう
大事な事を忘れがちだし、子供の些細な行動も単なる風景に捉えてしまいそうなので。
最後に
子供と向き合う時間って本当に重要だと思います。けれども、一方で自分の時間を確実に削ります。効率的じゃない事もあれば、無駄と感じる事も多々。
将来、あの時のおかげで今がある!ってなっても「今」がいつか分かりませんからね。
すべての働ける家族へ。「日常に流されないように!」もちろん私も肝に命じます!(笑)